コラム

2016年01月05日
 

阪神・淡路大震災から二十年 被災者の生活支援に力を尽くして

阪神・淡路大震災から二十年
被災者の生活支援に力を尽くして
衆議院議員 堀内照文

(月刊学習2015年12月号掲載より)

 「市はなぜ私たちを追い出そうとするのでしょうか。なぜ住み慣れた家を奪うのでしょうか。震災後二十年、仲良くしてきたみんなとなぜ離れ離れにならないといけないのでしょうか。市は私たちの健康のことを考えてくれているのでしょうか。どうか、追い出しはやめて静かな生活を返してください」――西宮市借り上げ災害公営住宅に住む七十七歳の女性の訴えです。
 一九九五年一月に発生した阪神・淡路大震災から二十年たった現在、また被災者に危機が迫っています。私自身、神戸で被災した一人です。被災者の立場に立った支援の拡充は、国会で、全力でとりくみたい課題のひとつでした。

 

「期限が来たから」と被災者を住宅から追い出す自治体

 いわゆる借り上げ住宅は、震災後、本来必要な公営住宅の建設が間に合わず、民間(主にはURのものが多い)が建設した住宅を自治体が借り上げて公営住宅としたものです。阪神・淡路大震災の翌年に公営住宅法が改正され、この制度がスタートしました。その借り上げ「期限」である二十年がくるということで、行政が被災者に退去を求めているのです。
 兵庫県内では震災後、約四万二千戸の公営住宅が提供されましたが、そのうち約七千五百戸がこの借り上げ住宅でした。
 わずか数十秒の揺れで住んでいた街が一変し、六千四百三十四人もの尊い命を奪ったあの震災で九死に一生を得た被災者は、震災直後から、避難所等での不便な暮らしを余儀なくされました。その後、仮設住宅に入居し、何度目かの抽選でようやく当たった公営住宅が、現在の住まいです。同じように抽選で一般の公営住宅に入居された方は、もちろん退去など迫られていません。借り上げ住宅を選んで抽選したのではありません。たまたま当たった住宅が借り上げ住宅だったがために退去を迫られているのです。
 しかも、入居したときには期限があることを知らされていなかった方も多くおられます。また知らされていても、当時説明に来た職員から、「二十年が来ても続けて住めますよ」とか、「悪いようにはしない」などと言われた方もいるのです。退去を求める通知が届いた時には、多くの被災者にとっては、まさに寝耳に水、「今さら出ていけと言われるとは」と、驚きと不安が広がりました。
 この二十年、阪神・淡路大震災からの復興の過程では、行政が仮設住宅を住み慣れた市街地から遠く離れた郊外へ大量に建設し抽選で割り振ったため、コミュニティーが破壊され多くの「孤独死」が生まれたことが社会的にも大問題になりました。コミュニティーをいかにつくりあげ、維持していくのかは、阪神・淡路大震災からの復興の一番の教訓です。
 ようやく入居した終(つい)の棲家(すみか)で被災者のみなさんが二十年かけて築き上げてきたコミュニティーを行政が再び壊す――こんな理不尽なことはありません。

 ●一律退去を改めさせる
 この間の入居者、支援者らの運動で、一律に退去を求める行政の姿勢を改めさせ、兵庫県や神戸市などはいくつかの継続入居の要件を示すようになりました。
 兵庫県は、①年齢要件として、(イ)八十五歳以上、(ロ)八十歳~八十四歳で要介護1、2または中度障害、特定疾患等、②要介護3以上、重度障害者、③判定委員による判定(後期高齢者、要介護1、2、中度障害者のほか、義務教育期間中の子どもがいることや近隣の親族が介護を要するなど)としています。
 神戸市は、①要介護3以上、②重度障害者・児、③八十五歳以上(これ以外は、移転先公営住宅を予約すれば五年猶予)というものです。
 西宮市は、一切の継続入居を認めていません。要介護3以上や重度障害者等に最大五年間の猶予を認めているだけです(注)。
 (注)宝塚市、伊丹市は全戸継続を決定。尼崎市は、未定です。

 継続入居を一切認めない西宮市は論外ですが、神戸市の要件も被災者の生活実態に見合ったものではなく、その線引きが被災者に新たな困難をもたらしています。
 兵庫県は、判定委員会での個別判定をおこなうと比較的柔軟な対応をする予定ですが、それが実態に見合った運用になるかどうかは、これからの問題です。

 

 初質問で被災者の実情を示して

 こうした深刻な実態と入居者の新たなたたかいがおこるもと、昨年の総選挙で国会へ送っていただいた私は、震災二十年のメモリアルから約一カ月経過した二月の初質問で、この問題をとりあげました。
 私の質問の目的は大きく二つありました。第一に、震災から二十年が経過しても被災者の生活再建はなお道半ばであることを広く知らしめることです。第二には、当該自治体のみならず、国の責任も明らかにし、被災者の生活再建にむけたたたかいに資するものとすることです。

 ●〝期限までに死んでいたい〟と高齢者
 借り上げ住宅の問題でいえば、政府は当初、先に指摘した自治体のすすめる「住み替え」策をもって、被災者支援がなされているとの認識でした。
 そこで私は、被災者の実際がどうなっているのかをリアルに示して政府に対応に努めるよう迫りました。
 継続入居を一切認めていない西宮市は、今年に入って「市営住宅の明渡しについて」という通知書を入居者に一方的に配達証明で送りつけました。文中には、「借り上げ期間満了日までに返還手続を行い、物件(住居のことです)を明け渡すよう請求します」、「借り上げ期間満了日までに明け渡しがない場合は市がこうむった損害の賠償等を求めて法的手続をとります」と書かれてありました。これを受け取った入居者がどんなに大きな不安にさいなまれたかは想像に難くありません。
 その後西宮市は、県内で一番早い九月末に入居期限を迎えた西宮市内の入居者に対して、住居の明け渡しと損害賠償を求めて提訴をするとして、十二月議会にその議案を提出すると言います。転居したくともできない高齢者をはじめとする被災者に、こういう仕打ちをおこなうことを「追い出し」と呼ばずになんというのでしょうか。
 神戸市の場合には、先に紹介したようにいくつかの要件を設け、継続入居の道も開かれました。しかし、この要件が逆に冷酷な「線引き」となってしまうこともあります。
 神戸市のある女性は、入居期限が来るときには八十四歳十一カ月、神戸市が定める継続入居要件の八十五歳まであと一カ月足りません。
 この方は年金五万円で生活をしています。節約のため、下着は十年前に亡くなった夫のものを縫い直して仕立てています。震災の後遺症で重い物が持てません。買い物に出かけても、牛乳と豆腐で一回、大根で一回、ハクサイ四分の一とホウレンソウで一回と、何回にも分けて行かなければなりません。病院も五カ所に通っておられます。買い物も病院も近いからまだ何とか暮らせるといいます。こういう方に住みかえを迫ること自体が、生活基盤を破壊することになってしまいます。この方は、「自分は退去期限までには死んでいます。それが私の願い」と言いました。本当に胸がつぶれる思いです。まさに、震災で助かった被災者を政治が絶望のふちに追いやっていいのかということが問われています。

 ●理不尽としか言いようのない行政の対応
 行政の執拗な「追い出し」策に根負けしてすでに転居された方のなかでも深刻な事態が生まれています。
 質問でもとりあげた脊髄小脳変性症という難病をもち車イスで生活しておられる男性は、これまで借り上げ住宅の一階、障害者用住宅に家族とともに住んでいました。連日訪問して転居を求める神戸市の担当者から、「家族で住める住みかえ先はもう一つしかない」、「これがなくなったらもう終わりだ」と言われて、ついに二〇一二年十一月に転居をしました。
 しかし、引っ越してみるとそこは十四階にある一般者用住宅でした。障害者用住宅に比べてやはり造りが狭く不便です。車イスでは地震や火事などいざというとき、どう避難したらいいのかと大変な不安を抱えることになりました。
 そのわずか四カ月後、男性は大きな衝撃を受けることになります。二〇一三年三月に神戸市は、障害者は継続入居ができることを発表、さらに二〇一四年一月には元いた借り上げ住宅を丸々一棟神戸市が買い取り、市営住宅とすることを決めたのです。男性は、慌てて引っ越さなければ元いた場所にずっと住み続けることができたのです。市は、すでに市営住宅に転居した人の更なる住み替えは認めていないとしており、元の家に戻りたいとの男性の願いはかないません。
 時間の関係で質問では取り上げられませんでしたが、行政の復興施策に協力し、再開発事業のために自らの自宅や土地を提供した方々の受け皿住宅のなかにも借り上げ住宅があり、その協力者まで「追い出し」の対象にするなど、本当に理不尽としか言いようのない事態までおこっています。
 こうした被災者の深刻な実情を具体的につきつけるなかで、大臣も「一人一人の心に寄り添う、暮らしぶりに寄り添うという視点から、被災自治体、丁寧な対応をしていただきたい」(山谷えり子・防災担当大臣、当時)、「兵庫県や各市に対しまして、入居期限後の支援策全般について、きょう出た例等も出しまして、丁寧な対処をしていただければ」(太田昭宏・国土交通大臣、当時)と述べざるを得ませんでした。
 これらの答弁を引き出したことは、入居者、支援者のみなさんから大変喜ばれました。

 

 政府、自治体の都合による支援切り捨てを許さない

 しかし、入居者を提訴しようとする西宮市のみならず、神戸市も来年一月に期限を迎える入居者に「明渡し」に応じなければ、損害金を請求するといった退去通知ともいうべき文書を送りつけ、自治体の都合ばかりを優先した現行の方針を具体化、推進するための条例改正をおこなおうとするなど、なお被災者に冷たい姿勢をとり続けています。
 これに対して、入居者の運動、支援者のたたかいの輪が広がっています。二〇一一年十二月に「借り上げ住宅連絡会」が発足し、入居者への相談活動、行政への申し入れ、交渉、翌七月には防災大臣と面談するなど運動がはじまりました。二〇一三年三月には「ひょうご震災復興借り上げ住宅協議会」と名称変更し、粘り強い運動を展開しています。十月末には希望者全員の継続入居を求めるシンポジウムを開き、入居者、学者、医師、弁護士らがそれぞれの立場から、継続入居の必要性、正当性を明らかにしました。昨年七月には「借り上げ復興住宅弁護団」が結成され、この運動の力強い援軍となっています。
 そういう中で、世論も大きく動いています。神戸市がすすめようとしている条例改正案に対して寄せられたパブリックコメントは、二~三週間のうちに七四九通にもおよび、そのすべてが、神戸市の方針に「反対」という内容でした。なかには、「今後も継続して入居できるような条例に作り変えるよう、強く要望します」「なぜ今になって急に市に都合のいい条例をつくるのか」など、神戸市に対して痛烈な批判が寄せられています。
 兵庫県弁護士会も、「希望する者の入居継続を基本とすべきである」と、会長名で意見書を発表しました。意見書は「借り上げ方式による供給は止むを得ない措置ではあったが、入居する被災者にとっては一般公営住宅も借り上げ公営住宅も同じである」とし、「自治体による借り上げ公営住宅からの様々な転居あっせん政策が続く中で、今なお住宅に残っているということ自体、移転が困難な事情があると推測される。そのような一人ひとりの事情に応じて対応することは、個人の尊重を基底とする日本国憲法の要請である」と指摘しています。

 ●根本に国・自治体の政策・施策が
 東日本大震災を含め、この間のあいつぐ自然災害を受け、二〇一三年に災害対策基本法の改正や大規模災害からの復興に関する法律が制定されています。その際、わが党の高橋千鶴子衆議院議員の質問に答え、当時の古屋圭司防災担当大臣はこれらの法の理念が「被災者一人一人の生活再建を図ることを含めて、被災者の援護を図り、災害からの復興を図る」こと、「被災地域における生活の再建とは、大規模災害から地域住民の生活を立て直し、安定させることであり、被災者一人一人の生活再建を図ること」にあると答弁しています。
 この趣旨に立つなら、被災者一人ひとりの生活再建が図られるまでの支援が必要であり、二十年という期限がきたからと、支援策を切れるはずがありません。そもそも二十年という借り上げ期間も、民法上の賃貸借の契約が最長二十年であることを“援用”したにすぎません。
 神戸市がこれほどまでに被災者の「追い出し」にかかる大本には、二〇一〇年六月に神戸市が決定した「第二次市営住宅マネジメント計画」があります。ここで現在の管理戸数が「著しく多」いなどとして、「借り上げ住宅の返還時期を迎え」ることをあげながら、管理戸数の「円滑な縮減を図る」ことを打ち出しました。要するに、被災者の必要からではなく、神戸市の市営住宅管理の都合から、被災者の「追い出し」がすすめられているのです。
 なお、この背景には、公的住宅の提供を限られた貧困層に絞り込もうとする国の政策があるということも指摘しておきたいと思います。

 ●〝被災者に五度目の危機が迫っている〟
 いずれにせよ、被災者支援の趣旨からも、また「健康で文化的な生活を営むに足りる住宅を整備し、これを住宅に困窮する低額所得者に対して低廉な家賃で賃貸などすることにより、国民生活の安定と社会福祉の増進に寄与することを目的とする」(公営住宅法第一条)という本来の公営住宅のあり方からも、被災者を「追い出す」ことには、一片の道理もありません。
 仮設住宅で自治会長を務め、現在は借り上げ住宅に住んでいる「借り上げ住宅協議会」代表の安田秋成さん(九十歳)はこう言います。「震災後、高齢者は弱者と呼ばれた。弱者は震災で死に、避難所で死に、仮設住宅で死に、復興住宅でも死んだ。四度の危機を乗り越えた被災者に、五度目の危機が迫っている」。
 行政が持ち込んだ基準で線引きするのではなくて、一人一人の生活実態やコミュニティーの全体を考慮して、希望者全員の継続入居へ、国と自治体の責任が厳しく問われます。私も引き続き継続入居が勝ち取れるよう頑張りたいと思います。

 

 たたかいが生み出した成果――災害援護資金の返済免除

 一方、震災から二十年が経過するなかで、被災者に重くのしかかった課題が解決へ向かう、画期的な動きもこの間に生れました。災害援護資金の返済免除の問題です。

 ●いつまで被災者に重荷を背負わせるのか
 阪神・淡路大震災当時は被災者生活再建支援法がなかったため、多くの被災者が借金に頼るしかありませんでした。その一つが、災害弔慰金法にもとづく災害援護資金の貸し付けです。
 自宅が全半壊するなどした世帯主に最大三百五十万円を貸し付ける制度で、阪神・淡路大震災では、約五万六千人へ年利3%で総額約千三百九億円が貸し付けられました。返済期限は十年間でしたが、到底返せないという人が多く、返済期限が三回延長されてきました。それでもなお未返済が昨年九月時点で約一万五百人、およそ百五十五億円も残されていました。そのうち八割は毎月千円ずつ返す少額返済者でした。高齢になった被災者が、少ない年金から生活費を削って、毎月コツコツと返済を続けているのです。返済免除は借受人が死亡か重度障害で返済不能となり、保証人にも返済能力がない場合に限られていました。
 この制度は東日本大震災で特例が設けられ、保証人を付けた場合は利子なし、保証人のない場合は利子を1・5%にする措置が取られました。また、返済免除についても、借受人が償還期間満了時になお無資力かつ償還できる見込みがない場合、との要件が加えられました。
 これを受けて二〇一一年七月の国会で、山下よしき参院議員が、阪神・淡路大震災の被災者が保証人に迷惑をかけられないと苦しい生活の中でも少額返済をしている実態を訴え、当時の平野達男防災担当大臣から「東日本大震災では償還免除事由の拡大を打ち出している。そこを横にらみしながら、検討すべき課題だ」との答弁を引き出しました。以後、返済免除の拡大策が具体的にどうなるのか、待たれていました。
 それがようやく今年に入って明らかになったのです。内閣府の出した新たな方針は、履行期限から十年が経過した後、借受人が生活保護など無資力またはこれに近い状態にあり、かつ弁済することができる見込みがない場合に、免除するというものでした。
 焦点は、未返済の大半を占める少額返済者が救われるかどうかにありました。しかし内閣府の担当者は「少額とはいえ返済を続けている人を、返済できないとはみなせない」と言い、このままでは実際には免除となる人がほとんどいないというものでした。さらに保証人については生活保護を受給するなどしていなければ免除されないことになっており、これでは、本人が免除されても、借金が保証人に付け替わるだけで、やはり保証人に迷惑をかけられないと、被災者がせっかくの免除を断ることにもなりかねませんでした。
 私は質問で、「月千円、完済まで一四七年」と報道した地元紙も紹介しながら、「いつまでも被災者に重い荷物を背負わせるわけにいかない」と指摘し、どういう方が「無資力」になるかについては、自治体の判断を尊重した弾力的運用をおこなうよう求めました。

 ●少額返済者の免除が実現
 この質問と前後して、何度も地元兵庫県から運動団体や地方議員が上京し、議員会館の私の部屋で内閣府の担当者を呼んで、説明を受けるとともに同様の要望を重ねてきました。
 また、自治体からも少額返済者が免除となるようにとの強い要望が出されていました。
 そうした中で、今年四月に内閣府が新たに兵庫県などに通知をだし、少額返済中であっても、返済できない状態となり、将来にわたっても返済できる見込みがないと自治体が客観的に判断できる場合も、返済免除とすることとしました。
 この問題でようやく被災者に希望の光が差し込みました。神戸市は六月から少額返済者の返済を五月分から休止し、資力調査をおこないました。その結果、対象の約85%の判定を終え、三七六九人全員が「返済の見込みなし」と判定されました。今後、保証人についても資力調査がおこなわれ、免除が決定されていきます。保証人の資力調査で返済可能と判断された場合でも、所得が急増するなどのことがなければ、支払いの全額猶予が続くため、実質的な免除となる可能性が高いといいます。
 被災者、地方議会、そして国会での粘り強いたたかいが実を結びました。

 

 被災者生活再建支援法の抜本的な拡充を

 阪神・淡路大震災の被災者の苦難が、なぜこうも長期にわたって続くのか――そこには、災害発生の初期に被災者の生活再建、立ち上がりに思い切った支援がなかったという問題があります。
 当時は、住宅再建への公的支援を柱とする被災者生活再建支援法がありませんでした。「創造的復興」の名のもとに神戸空港をはじめとするインフラ整備が優先され、被災者支援が取り残されました。
 こうした点を考えても、被災者の生活再建を真ん中に据えた復興施策とともに、被災者生活再建支援法の抜本拡充が求められます。東日本大震災の被災者からも、住宅本体への支援を現行の三百万円から五百万円へ引き上げてほしいとの声が上がっています。九月の豪雨災害の被災地からも、半壊世帯も支給対象にしてほしいとの声が寄せられています。
 私は、国会での質問の最後に、この問題も提起しました。政府の答弁は、他の制度とのバランスや財政を考えると難しいというものでした。とりわけ、当時の竹下亘復興大臣は、私の質問の三日前に、阪神・淡路大震災のときと比較すれば、増額は難しいと答弁していました。
 そこで私は、次のように政府の姿勢を厳しく批判しました。「被災者生活再建支援法は、阪神・淡路の被災者にとっても悲願でありました。私も、そのことを求めて、震災以来、被災者の皆さんとともに一貫して運動してまいりました。ついにその法律ができて、阪神・淡路大震災のときはなかった支援が行き渡りましたけれども、その際、阪神・淡路の被災者から、自分たちのときとバランスを欠いているというような声が上がったでしょうか。ありませんでした。もちろん自分たちにも適用はしてほしいけれども、何よりも、自分たちのようなこの苦しみを、今後同じ被災者に味わわすまいと、制度の実現を喜んだわけであります」「阪神・淡路の二十年の苦しみを、また東北の被災者にも味わわせようというのでしょうか。バランスなどという理屈を言っている限りは、新しい制度はできません。それは、この二十年、支援法をつくり拡充させてきた、その政治の歩みをも否定する、通用しない議論だと厳しく指摘したいと思います」。

 ●災害の多い日本だからこそ十分な対策を
 「復興はたたかいだ」という言葉が、運動のなかで語られました。被災者に寄り添う県政の前進をとわが党が議席増を果たした岩手県議選に続き、兵庫県同様に「創造的復興」なるものを掲げる宮城県政に対しては、安倍政権の戦争法の強行への批判とわが党が提案している「国民連合政府」への共感と相まって、県議選で共産党の議席倍増という審判が下りました。未曽有の原発災害とたたかう福島県議選も続きます。誰もが被災者となりうる災害列島日本で、真に安心して暮らせる日本へ、今後も力を尽くしたいと思います。

 (ほりうち てるふみ)