コラム

2017年08月27日
 

戦没野球選手に想いはせ不戦の誓い新たに

  今年の8・15の甲子園は、天候不良で試合がなかったため実施されませんでしたが、本来なら終戦記念日として正午に黙祷がおこなわれます。
甲子園も戦争の陰から無縁ではありませんでした。
   沢村栄治(京都商)やその好敵手だった大阪タイガースの景浦將(松山商)らが戦没選手であることは有名です。
  ところで今年の京都代表は京都成章、神奈川代表は横浜高校。この組み合わせで甲子園を沸かせたのが、1998年の夏の大会決勝戦。横浜高校の松坂大輔がノーヒットノーランを達成したからです。その前に決勝戦でノーヒットノーランを達成したのが、1939年の大会での和歌山代表、海草中学の嶋清一投手でした。嶋投手のすごいところは準決勝もノーヒットノーランだったこと、さらにはそれら含め5試合全て完封勝利で優勝投手になったことでした。この嶋清一も明治大学進学後、学徒出陣で戦地で命を落としました。
  兵庫県の選手も犠牲になっています。1933年の大会準決勝で中京商を相手に延長25回を1人で投げぬいたのが、明石中学の中田武雄投手。そのひとつ上の楠本保投手は甲子園で2度のノーヒットノーランを達成。ともに慶應を経て、仕事に就いたのちに兵役に就き、中田は南方で、楠本は中国大陸で戦死。奇しくも1日違いの中田が1943年7月22日、楠本が23日だったといいます。
未来ある有能な選手が無残にも命を落とした戦争。たとえ生還できても肩を痛めるなど往時の活躍ができなかったといいます。戦争がなければ、その後どんな活躍をしたでしょう。そんな思いも胸に、不戦の誓いと憲法9条を守り、活かす決意を新たにしました。

(2017年8月27日 兵庫民報より)