コラム

2016年12月20日
 

堀内照文さん物語~「しんぶん赤旗」近畿のページ連載

悪政と対決 願い届け政治前へ

 前回総選挙で初当選した堀内照文衆院議員(44)。初質問でいきなり大ヒットを飛ばします。
2015年2月の予算委。阪神・淡路大震災被災者が長年苦しむ災害援護資金返済で、月1000円などの少額返済者が免除されない問題を取り上げ、「月1000円、完済まで147年」と報じた地元紙も示し「いつまでも被災者に重い荷物を背負わせるわけにはいかない」と弾力的な免除適用を迫りました。
 質問が大きな力になり、国は、少額返済者も自治体が返済見込みなしと判断すれば免除可能―と通知。これを受け神戸市は未返済6000件のうち現在、3485件を免除決定。残りも大部分が返済を免れる見込みで、解決へ大きく前進しています。
 借り上げ復興住宅入居者への転居強要を告発し、希望者全員の継続入居へ国が責任を果たすよう強く求めています。


年金カット法案の反対討論をおこなう堀内衆院議員=11月29日、衆院本会議

47回の国会発言
 「安倍政権と対決し、国民の切実な願いを届け、一歩でも二歩でも政治を動かすことに全力を挙げています」と堀内議員。厚生労働委員、災害対策特別委員を務め、国会発言はすでに47回です。
 国民生活を守って安倍政権の悪政と正面から対決してきました。
―労働者派遣法改悪で6回質疑に立ち、安倍首相とも2度、直接対峙(たいじ)し、「生涯派遣」に道を開くと徹底して批判。正社員化のためという首相に「必ず直接雇用されると言えるのか」と迫り、厚労相は「最終的には雇用主が判断」と保証がないことを認める。
―「保育園落ちたの私だ!」と広がった怒りを背に待機児童問題で奮闘。小規模保育施設卒園後の受け入れ先がない「3歳の壁」を指摘し、規制緩和では解決にならないと国の責任で認可保育園の抜本的増設を要求。
―年金カット法では、障害年金も下がると指摘。年金の最低保障機能をさらに弱め、生存権を脅かすと批判し、「高齢者も障害を持っても、尊厳を持って生きることは当然の権利」と廃案を訴え。
―「介護離職ゼロ」は、特養待機者52万人に対し国の計画は15万人分など「解消」とはほど遠いと告発。介護報酬引き下げは「死刑宣告」との事業者の声を示し、引き上げを要求。

ガラリ変わった
 同時に、切実な願いを実現しました。
 児童虐待について、法改正で役割が重くなった市町村は資格保持者が不足し非正規や兼務の職員が多いことを指摘し、体制強化の財政措置を要求。17年度予算概算要求に盛り込まれ、実現の方向です。
 超党派議連の一員として、がん対策基本法改正の議員立法案を練り上げ、今月7日に成立。がん患者の雇用継続や難治・希少がん対策などを盛り込みました。
 交通事故で軽度外傷性脳損傷を負ったことの労災審査を、加害者側保険会社の元役員が担当する異常な労働保険審査会人事を追及。担当は差し替わりました。当事者の原望さん(42)=神戸市北区=は「堀内さんに取り上げていただき、すごく感謝しています。親身に聞いてくれて共産党の印象がガラリと変わった」と話します。

共産党躍進必要
 過労死をなくす長時間労働規制法案、支援金を500万円に引き上げる被災者生活再建支援法改正案、保育士処遇改善法案などを他の3野党と共同提出したことも特筆されます。
 堀内議員は「政治を動かすのは世論と運動だと実感しました。野党共闘の流れを本物にしてこそ希望ある未来が開かれる。そのためにも日本共産党のさらなる前進、躍進がどうしても必要。全力で頑張ります」と語ります。 
 
「しんぶん赤旗」日刊紙 2016年12月17日付掲載

 

大震災が生き方の原点

 1995年1月17日。死者6434人、全半壊(焼)約47万世帯という甚大な被害となった阪神・淡路大震災が起きた日です。
 堀内照文衆院議員(44)は当時、神戸大学の4年生で激震地の神戸市灘区でアパート住まいでした。開かなくなったドアを蹴破って外に出ると、あちこちで助けを呼ぶ声が。1階が押しつぶされた近くの学生アパートにかけつけ、付近の人と2階の床板をはがして、5人を救出。「無我夢中でした」とふり返ります。


初当選が決まった直後、かけつけた人たちと喜び合う堀内さん(前列中央)=2014年12月15日午前0時すぎ、神戸市兵庫区

助かった命が…
 神戸大学では学生と教職員41人が犠牲に。文学部学生自治会の委員長だった堀内さんは学生の救援に奔走します。大学当局に学生の安否確認、被災学生の学費減免などを要請。署名を集め、学費減免を実現しました。
 全国の学生ボランティアの受け入れ役になるとともに、先頭に立って避難所などのボランティア活動にとりくみました。
 一方、「私有財産制だから生活再建は自助努力で」と個人補償を拒否する政府、被災者を助けず「復興」の名で神戸空港建設をすすめる神戸市など、政治のたくらみが顕著になっていきます。被災者の生活再建はすすまず、仮設住宅、復興公営住宅で孤独死、自殺が大量に起きます。
 「震災で助かった命が、なぜ捨て去られるように亡くなるのか。困った人に手をさしのべるのが政治ではないのか」。腹の底から怒りを覚え、個人補償実現の運動に取り組むとともに、「日本共産党を伸ばして政治を変えなければ」との思いを強くしていきました。
 阪神・淡路大震災被災地の真っただ中で奮闘し、葛藤してきた体験が、堀内さんの生き方の原点になっています。

長男からの手紙
 72年、大阪市住吉区生まれ。父は日本共産党の常任活動家でした。大学1年の5月に入党しました。
 震災直後の95年4月から共産党兵庫県委員会に勤務。被災者支援に取り組むとともに、青年学生部のメンバーとして民青同盟や学生党支部を援助しながら、平和運動や就職難打開の運動などを一緒にすすめました。
 04年の参院選で比例候補(第2次)となったことを皮切りに、07年と10年の参院選で兵庫選挙区候補、12年の衆院選で近畿ブロック比例候補を務め、国政に挑みました。その間、公立病院存続、派遺切りなど青年の雇用、農林漁業・地域経済、子育て、東日本大震災ボランティア、原発ゼロ・自然エネルギー普及など、兵庫県民をはじめ近畿の住民の切実な要求実現に奮闘しました。
 そして14年12月の衆院選。近畿ブロック名簿4位の比例候補として見事初当選を果たしました。当時9歳の長男が堀内さんあてに書いた、「とうとうがせんきょにかてばとうきょうにいっちゃうけど、ぼくはいいよ。だって世界が平和になればいいから。せんきょがんばれ」という手紙は感動を呼びました。
 大沢辰美さん(元参院議員)以来、10年ぶりの兵庫出身の共産党国会議員の誕生でした。

 「しんぶん赤旗」日刊紙 2016年12月16日付掲載

(兵庫県記者・喜田光洋)