原爆症認定の状況をお聞きする 今日は午前中、この間、原爆症認定の却下件数の急増という事態をうけ、現状を訴訟原告、弁護団、支援者のみなさんからお話をうかがいました。
 午後からは、西区押部谷地域でのつどい、近隣で「鬼やらい」などの行事で有名な近江寺を訪問。住職と懇談させていただきました。
 およそ被爆の実態をみようとしない政府の姿勢で、原爆症認定が遅れており、この数年来裁判では被爆者原告が20連勝以上を重ね、ついに、昨年8月6日に麻生政権が、被爆者団体と和解。もう訴訟がおこらないように必要な措置をとるとしたのでした。


 ところが、この間、8000件以上もの認定申請がでているにもかかわらず、認定を数年も引き伸ばすことがおこなわれていました。高齢に病気も抱えた被爆者のみなさんです。時間がありません。「早く認定を」との要求に、今度は政府は、次々と「却下」してきました。
 厚労省内の審査会が今年5月24日におこなった審査の議事要旨をみると、407件の答申件数があり、認定17、却下386、保留4とありました。一日で400件余りの審査ですから、一件あたりにほとんど時間がかけられていないことが分かります。ある日は441件を6時間で審査、一件あたりは4秒ほどになるといいます。
 中身をみても、昨年夏の合意で、心筋梗塞については、積極認定の対象とされたにもかかわらず、心疾患については今年3月29日に認定0、却下47、4月8日認定6、却下0、26日認定0、却下69、5月18日認定5、却下0、24日認定1、却下103と新しい審査基準と著しく矛盾して、軒並み却下されているような事態です。弁護団の藤原精吾弁護士は「政権が代わってより後退した」と。


 北区在住の被爆者、山口幸雄さんも、06年10月6日に申請するも3年以上も結果が出ず、09年12月に提訴。すると、判決が出る直前の今年1月28日に却下の通知が届きました。少年兵だった山口さんは、3.6キロ地点での病院で被爆、病院にきた避難者を市内へ送り届けるなど、入市もしています。戦後、若いときから白血球減少症もあり、最近は狭心症なども発症。心筋梗塞で救急で運ばれたときには、冠状動脈がレントゲンに写らない状態で、あと30分遅かったら命も危なかったといいます。山口さんは「却下の通知だけで、その理由も知らされない」と憤っておられました。


 被爆者の多くは、戦後、結婚や就職などの差別から逃れるために、被爆したこと自体を隠してきた人も多くいます。高齢になってようやく、認定をと思っても、国の厚い壁に阻まれているのです。
 認定にむけ、裁判もおこすなど運動が広がりましたが、そもそも、被爆者が裁判をたたかうこと事態、家族などの理解、自らの健康状態など、非常に困難です。被爆し、戦後もそのことを背負って生きて言葉ではとても言い尽くせない苦労を重ねてきた被爆者の方々に、裁判をたたかわなければ認定されないこと自体、ひどい仕打ちです。


 要望として、①新しい審査の方針の改定。せめて裁判所水準にすること。とりわけ、心筋梗塞、白内障について「放射線に起因する」との要件を撤廃すること、②審査委員の入れ替え。これまで不当な却下を続けてきた委員を入れ替え、被爆者医療の経験のある医師などを任命すること、その際、被団協、訴訟医師団の意見を聞いて人選をすること、③以上のことを実施した上で、認定待ち滞留者の解消をおこなうこと。そのための事務処理計画を示し、関係団体の意見を聞くことが出されました。
 しっかりと受けとめ、がんばりたいと思います。


 西区のつどいには、会場いっぱいに集まってくださりました。近江寺を訪問したあと、南原富広市議と党勢拡大に歩いて、1人が党に入ってくれ、2人の方が、日刊紙、日曜版ともに購読していただきました。