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2008年11月02日
赤穂→相生→たつの→姫路→加古川→明石の各地で訴え
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今日は、朝8時に赤穂を出発して、夜6時の明石まで、播州地方を一気に西から東へかけめぐって訴えました。
小林とくじ赤穂市議、三宅たみ子元相生市議、堀ゆずる元新宮町議、入江次郎姫路市議、星原さちよ県議、新町みちよ県議に各所でご一緒させていただきました。
今日の宣伝カーは、近畿ブロックの車。車長さんは大阪の方。曰く「この間、何度かこちらの方面には来ていますが、来るたびに反応が良くなっていますね」とおっしゃっていました。
今日も、各所で、車や通行人からの手振り、激励が多かったこと、特に30~40代の比較的若い、子育て世代の男性からの激励が増えたなあと感じています。
相生では、観光客向けにひらいている露天商のご主人が、「話はよう分かった。共産党が言っていることが一番まともや」と固い握手。
姫路市内のとあるスーパーでは、広い駐車場内を移動している車が、宣伝カーの前で止まりました。最初は、買い物にこられて駐車されたのかと思ってたのですが、運転手が車からおりてこず、車内でずっと聞いているようす。どうやら買い物が終わって、わざわざ宣伝カーの前まで移動して話を聞きに来たようなんです。訴え終わると、しきりにうなづいて手を振って、帰っていかれました。
姫路駅前の宣伝でも、ビラをまいていた人が「わずか20分ほどのあいだに、むこうからビラをもらいに来た人が6人もいた」と反応の大きさに驚いていました。
いまは、訴えに耳を傾けている方が多く、訴えれば訴えるほど、共感と支持が広がるような手ごたえを感じます。解散がいつになるか予断を許しませんが、総選挙に向けて勝利の条件を広げるべく、さらにがんばりたいと思います。
○この間、『トゥイーの日記』(出版は経済界――ベトナム戦争時の女性従軍医師の日記。アメリカ侵略軍との国の独立をかけたたたかいの中で、模索、葛藤し、成長する若い女性の姿がそのまま綴られています)、マルクス・エンゲルス全集第8巻を読了。
全集のこの巻は、『ドイツにおける革命と反革命』、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』など、ドイツやフランスの1848年革命からそれ以後の政治史についてのある程度まとまった叙述、解明が特徴。
特に、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』は、フランス大革命で封建制度を早々とうちやぶったはずのフランスで、共和制ではなく、ボナパルトによる帝政がなぜ可能となったのか――膨大な軍事・官僚組織をかかえたフランスの特殊性にくわえ、政治闘争の中でプロレタリアートもブルジョアジーも王朝派も弱体化していったこと、そういうなかで、階級的基礎としては、フランスでもっとも人口の多い分割地農民を代表するものとしてボナパルトがあらわれていったことなど、史的唯物論を型紙として社会にあてはめるのではなく、フランス社会の実際から出発して階級関係にまで掘り下げて、諸階級間の力関係、動向などリアルに解明されています。
史的唯物論を社会にあてはめるのではなく、社会の現実の分析のなかから解き明かしていくことの重要性について、特に印象を持って読んだのが、この分割地農民とボナパルトとの関係です。
「数百万の家族が、彼らをその生活様式、利害、教養の点で他の諸階級から区別し、それと反目させるような経済的生存諸条件のもとで生活しているかぎりで、彼らは一つの階級をつくっている。分割地農民たちのあいだにたんなる局地的な結びつきしかなく、利害の同一性ということから、彼らのあいだにどんな共同関係も、全国的結合も、政治組織も生まれてこないかぎりで、彼らは階級をつくっていない。だから、彼らは、議会をつうじてであれ、国民公会をつうじてであれ、自分の階級的利益を自分の名まえで主張する能力がない。彼らは、自分で自分を代表することができず、だれかに代表してもらわなければならない。彼らの代表は、同時に彼らの主人として、彼らのうえに立つ権威として、彼らを他の諸階級にたいして保護し、上から彼らに雨と日光をふりそそがせる無制限な統治権力として、登場しなければならない。だから、分割地農民の政治的影響力は、終局的には、執行権力が社会を自分に従属させるという点に現われる」。
また、社会の上部構造にかかわって、「さまざまな所有形態をもとにして、いろいろの社会的生存諸条件をもとにして、さまざまに違った、独特の形態をもった感覚、幻想、考え方、人生観からなる上部構造全体が成立する。それらは、この階級全体が自分の物質的基礎のうちから、またそれに応じた社会諸関係のうちからつくりだし、かたちづくるものである。ひとりひとりの個人は、これを伝統と教育とをつうじて受け取るので、それらのものこそ自分の行為のほんとうの動機であり出発点であると、思いこんでいるかもしれない」との指摘は、気まぐれ、偶然のようにみえる個人の意識をどうとらえるか、大事な視点だと思いました。
投稿者 teruhoriuchi : 2008年11月02日 22:51
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