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2008年08月31日
災害復興研究・運動全国交流集会(新潟県柏崎市)に参加
30、31日と、新潟県は柏崎市まで出かけていました。
全国災対連(災害被災者支援と災害対策改善を求める全国連絡会)が主催する、「被災者が主人公の生活再建と地域復興を考える 災害復興研究・運動全国交流集会」に参加するためです。
私も、政策課題について検討する分科会で、阪神・淡路大震災被災者がいま直面している問題のなかで、災害援護資金未償還の問題、災害公営住宅での家賃減免の特例措置が10年期限で順次打ち切られている実態について発言しました。
いまでこそ被災者生活再建支援法が昨年改正され、住宅本体の再建に最高300万円支給されるようになりましたが、阪神・淡路大震災のころには、その制度がなかったために、多くの被災者が、災害援護資金(つまり公的な借金)に頼らざるを得ませんでした。本来なら、この制度はすべての償還が済んでいるはずです。しかし、神戸市分だけでも114億円もの未償還が残されています。
わらをもすがる思いでお金を借りたものの、支援制度が不十分ななかで、生活再建の軌道に乗せるには程遠く、返すに返せない状況が多く残されています。この間の運動のなかで、月1000円からの小額償還も実現させるなどして、被災者のみなさんはコツコツと返済されています。
どんなに生活が厳しくても、返済免除の条件が本人死亡などに限ると厳しく、借受人死亡が約2400件、借受人自己破産約1900件に対して、免除者件数は1150件にとどまっています。その分、連帯保証人へ請求がまわっています。また、回収のための裁判提訴が500件弱、判決による強制執行が200件を超えるなど、厳しい取立てを被災者に迫っています(いずれも神戸市分)。
自己破産や強制執行ともなれば、せっかく努力して再建した自宅があっても、手放さなくてはなりません。これのどこが「被災者支援」でしょうか。
被災者生活再建支援法が、住宅再建にまで公的支援が及ぶように改正された法の主旨に照らして、当時、その制度がなかったがために、いまなお大変な苦労を強いられている阪神・淡路大震災の被災者へ、返済免除の条件緩和など、相応の措置をとるべきではないでしょうか。
この他、森本真・神戸市議からは、長田区の再開発の問題について、神戸市東灘区で民間のローンで自宅再建をされた方が、「98歳までローンを返済しつづけなければならない」と告発、神戸市中央区で商売をされていた方は、「仲間うちでは『もう一回地震が来てくれたら死ねるのに』と口々に語られる」被災業者の実態について、それぞれ発言がありました。
○この間、マルクス・エンゲルス全集補巻1、同全集5巻、永田和宏「タンパク質の一生」(岩波新書)、飯田進「地獄の日本兵 ニューギニア戦線の真相」(新潮新書)、工藤晃「エコノミスト 歴史を読み解く」(新日本出版社)、小森良夫「市民はいかにして戦争に動員されるか」(新日本出版社)などを読了。
「タンパク質の一生」では、エンゲルスが「生命とは蛋白体の存在の仕方である」とした唯物論的な内容が、現代科学でさらに確証されていることがよく分かりました。
「エコノミスト 歴史を読み解く」では、明治初期に、「君が代」が「国歌」として定められていく背景に、実は、江戸期に歌謡として君が代が歌われた背景があり、その歌意は、平和を願うものがあったとの解明は、目からウロコでした。
「市民はいかにして戦争に動員されるか」は、著者の若い世代への痛烈なメッセージとして心に響くものでした(遺著となりました)。また、氏が三高時代に、明石の川崎航空機へ勤労動員していたなど、兵庫とのゆかりも。
マルクス・エンゲルス全集5巻は、1848年のヨーロッパの革命のさなかに書かれた「新ライン新聞」の論説が収められています。共産主義者として、ドイツの民主主義をもとめてたたかった足跡、パリでの6月革命のすすみゆく事態を、限られた情報の中で、刻々と追っていく様も生々しく筆に残されています。
学ばされたのは、確立した史的唯物論の立場で動きゆく社会に迫る姿勢です。「初審裁判所検事「ヘッカー」と『新ライン新聞』」では、「ヘッカーは、個々の人物の不可思議な活動にすべてを期待する。われわれは、経済的諸関係から生じる衝突にすべてを期待する。…フリードリッヒ・ヘッカーにとっては、社会問題は政治闘争の結果であるが、『新ライン新聞』にとっては、政治闘争は社会的衝突の現象形態でしかない。フリードリッヒ・ヘッカーは、立派な三色旗共和主義者であるかもしれない。『新ライン新聞』の本来の反対は三色旗共和国においてはじめて開始される」。
「パリ『レフォルム』紙のフランスの状態論」では、「『レフォルム』紙は問題を『良心』のなかに移している。そこで道徳的なおしゃべりがすべての困難から救出してくれるというのだ。つまり、ブルジョアジーとプロレタリアートの対立はこの両階級の思想から生じてくるというのだ。では、それらの思想は何から生じてくるのか?社会的諸関係からだ。では、それらの関係は何から生じてくるか?敵対する諸階級の物質的、経済的な生活諸条件からだ」などなど。
投稿者 teruhoriuchi : 2008年08月31日 23:57
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