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2008年07月13日
小野市内で訴え
朝起きたら、「パズルやろう」、お風呂入る前にも「パズルやってからお風呂」…といった具合に、一週間ほど前に妻が買ってきた30ピースほどのパズルに熱心にとりくんでいます。
「4歳児~」とあったので、まだ早いのでは?と思っていましたが、はじめの数回こそ親が「ここちゃうか」など手伝っていたところ、もう2、3日もしたら、自分で楽しんでいます。
「うちの子、天才!?」などと、夫婦で親バカぶりも発揮しています(どのご家庭でもあると思いますが…)。
○マルクス・エンゲルス全集第3巻読了。この巻は、全編が『ドイツ・イデオロギー』。これまでは、『ドイツ・イデオロギー』のなかの一章「フォイエルバッハ」については、何度も読んできましたが、はじめて全編通して読みました。
「フォイエルバッハ」の章は、不破哲三さんの詳しい解説(『古典への招待』上)が理解をすすめるうえで大きな手助けに。確立したばかりの史的唯物論の見地をさらに仕上げていく過程、その見地で社会革命の論理や共産主義・社会主義の未来社会論を仕上げていく過程が、浮き彫りにされています。
特に気づかされた点は、「労働の疎外」に対立するものとして、人間の「自己活動」との言葉が登場していることです。不破さんによれば、『経済学・哲学手稿』のころからよく使っている言葉だそうです。「人間が、外部から押しつけられてではなく、自分自身の活動として生産活動(労働)にあたり、労働の過程も、労働の生産物も自分に属し、その活動を通じて自身も発展する、こういう生産活動を指してい」(不破哲三『古典への招待』)るそうです。以前に『経済学・哲学手稿』を読んだときには「疎外」の側面にしか目がいかず、違和感を覚えましたが、ここを読んで、自分の読み方の浅さに反省させられました。
マルクスらは、この概念をテコに、社会の土台における矛盾の発展が、その社会を構成する諸個人を動かして、古い交通形態を新しい交通形態に変革する社会革命が準備されていくという社会革命の仕組みの解明に迫ろうとしました。もちろん後の到達から見れば、不十分さをもっていますが、理論の発展の過程が生々しく刻み込まれているものの一つとして、興味深く読みました。
また、ヘーゲルをどう学ぶのかについても、「ヘーゲルにとっても新しい世界は抽象的諸思想の世界に解消していたのであるが、そのヘーゲルは古い哲学者に反して新しい哲学者の課題は、古い哲学者たちのように己れを『自然的意識』から解放し、『個人を直接的感性的なあり方から浄めて、彼を、思惟するところの実体』(霊)『たらしめる』かわりに、――『規定された、固定した諸思想を揚棄する』ことにあるとする。この仕事を成しとげるのが弁証法であると彼はつけくわえる」との指摘は、当時のドイツの「イデオローグ」たちに特徴的だったヘーゲルの観念論的な側面をなぞって思弁をもてあそぶようなやり方ではなく、その弁証法の核心をつかむことの重要性を語っていて重要だと思いました。
投稿者 teruhoriuchi : 2008年07月13日 22:07
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