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2008年05月31日
この間の読書ノート
この間の読書メモです。
○この間、マルクス・エンゲルス全集第40巻、41巻、エンゲルス『フォイエルバッハ論』(新日本古典選書)、「日本の歴史1 全集 列島創世記-旧石器・縄文・弥生・古墳時代」(小学館)など、読了。
マルクス・エンゲルス全集のこれらの巻は、マルクスらが20代、まだ科学的社会主義の立場に到達する以前の論文などが収録されています。青年期に、「われわれが人類のために最も多く働くことのできる地位を選んだとき、重荷もわれわれを屈服させることはできないであろう。なぜなら、その重荷は万人のための犠牲にすぎないからである。…われわれの幸福は数百万の人々のものであり、われわれの行為は、静かに、しかし永遠に働きながら行きつづけるのである。そして、われわれの遺体の灰は、高貴な人々の熱い涙によって濡らされるであろう」(マルクス「職業の選択にさいしての一青年の考察」)と書いたマルクスが、思想的には、ヘーゲル哲学の影響を強く受けながら、その観念論から脱して、唯物論の立場へ、やがてその目で社会をとらえる史的唯物論の立場に到達しようという遍歴の一端をみることができたように思います。
マルクスの学位論文「デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学の差異」では、古代ギリシャ哲学の弁証法への注目、「ミル著『政治経済学要綱』からの抜粋」では、後の貨幣物神、物神性の解明につながる論及がなされています。1844年の「経済学・哲学手稿」では、いわゆる労働や人間の「疎外」について論じられていますが、後のマルクスが展開したような、資本主義的生産様式のもとでの、労働者階級の結合、組織され、訓練される労働者の視点はまだ見当たりません。まだ、資本主義経済の本格的な解明がすすんでいない段階での論及として読むべきだと思いました。
エンゲルスの「シェリングと啓示」では、晩年に『フォイエルバッハ論』でもとりあげているヘーゲルの命題「合理的なものはすべて現実的であり、現実的なものはすべて合理的である」についての論及も。
曰く、「あらゆる哲学はこれまで世界を理性的なものとして理解することを課題としてきた。ところで、理性的なもの、それはもちろん必然的であり、必然的なものは現実的でなければならないか、さもなければぜひとも現実的にならねばならない。これが輓近の哲学の偉大な実践的成果へのかけ橋である。…ヘーゲルは、理性的なもの、それはまた現実的でもあると主張する。シェリングはしかし、理性的なもの、それは可能的であるといい、そういうことによってわが身を安全な場所におく」。
投稿者 teruhoriuchi : 2008年05月31日 23:40
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