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2007年09月09日
ひろげよう9条の心
若者たちによる表現に続いて、作家の辻井喬さんの講演、歌手の普天間かおりさんのライブと中身の充実した、大変、心に残るものでした。
終わってから、普天間かおりさんのサインセールに、思わず並んでしまいました。
○『宮本顕治対談集』(新日本出版社)読了…山下よしき参院議員が、選挙中に読んで、その大局観に励まされ、選挙をたたかいぬいたということに刺激を受けて、読みすすめました。戦前の天皇制政府による弾圧のもと、また戦後アメリカ占領軍による弾圧やソ連、中国からのあsまざまな干渉と、歴史のどんな困難な局面でも、発展方向を見定め、確固として歩みをすすめる、その揺るがぬ姿勢、党史を切り開いてきたたたかいに感銘を受けました。
私がハッとさせられた言葉をいくつか、書きとめておきます。
「太宰的なところに止まっている人にその人たちが納得するような、起ちあがれるような行き届いた批評が必要だと思うんですよ。太宰にただ溺れてもいけないし、緻密な分析をやらないで、ただ退廃だ、という結論だけで片付けてしまっても困るわけだ」(1949年「文学と政治」加藤周一さんとの対談より)。
「われわれ共産党でも党風の確立ということを言っているわけです。いろんなことをやったり、演説はできるけれど、私生活なんかの問題では非常にエゴイストのようなのが、ずいぶんいるわけですね。…今までそういう新しいモラル、新しい合理性の確立という点は、比較的なおざりにされた傾きがあったわけですよ。それを徹底的にやっておかないと、困難な情勢のなかで合理的に良心的に生きる地盤が出てこないわけですよ。新しい人間も出てこないわけですよ。それを今やろうということがわれわれの新しい仕事になっているわけですがね」(同前)。
「無力感といえば『新日本文学会』の『平和宣言』にもつながるものだ。あの基調は無力感じゃないが、もっと自信をもたなければならぬものを出していない。『われわれは戦時中間違いをやった、こんどはやらない結束しよう。』やらないということは無力感でなく決意ですね。しかし日本には数のうえでは少数であっても、文学者から出た者で勇敢にたたかったものがいるということですね。小林多喜二とか、われわれだって文学をやり、政治に入って監獄にいたわけですが、そういうふうな実際無力でなくたたかって頭を下げなかった人たちがいるということですね。これにたいする確信が足りないんですね」(同前)。
「リアリズムといわれている問題の中に、私は典型の問題があると思うんですよ。社会的現実の本質とか現実生活の本質を具体的に生き生きと描くというのが一般的にリアリズムといわれておりますけれども…社会全体の勉強から、どこに本質的矛盾があるかということを、理論物理学が自然の法則を発見するように、何が対象の本質かという典型を分析し、発見するのだと思うのですよ。…典型とか本質は、単純化した類型じゃなくて、複雑な全体性を最も集約的に表現している状況だと思うんですよ。類型と典型とはぜんぜん違ったもので、類型はいわゆる型であって、似て非なるものですよ。『らしさ』であって、本質じゃない。典型といった場合には、複雑性とか矛盾、全体性、そういうものを一定の状況のもとに、いちばん濃厚に具体的に反映している状況だと思うんですよ」(1954年「写真の内容について」土門拳さんとの対談より)
「そういう病気の状態で死にかけているところへ、検事がきて、『どうせ死ぬんなら、調書だけとって外で死んだらどうか』と言うんです。またこうも言いました。『しゃべらずに死んだら、党の立場は永久に理解されないままになってしまう。しゃべって党の立場が理解されるようにしておいたほうがよくはないか』…こう考えましたよ。調書でしゃべって警察や裁判所、検事局にわれわれの立場を知らせるというよりも、原則を守ってたたかって死んでも、そのこと自体のほうがむしろ党の立場をはっきりさせることになるんだ、と、まあ悟りと言いますかね」(1972年「50周年をむかえて」冨士真奈美さんとの対談)。
「(獄中12年のたたかいを『凡人にはできない』と問われて)いや凡人ですね。同時に、ふつうに言えば文学青年みたいな、そういう敏感な青年でもあったわけです。ただ、たまたまおかれた状況のなかで、昔、戦争で師団、連隊が壊滅すると、小隊長が指揮をとらなきゃならなかったでしょう。それと同じことで、わたしなんか分隊長か小隊長、せいぜい中隊長くらいだったのが、それが全軍の指揮をする立場に立たされて、党の最高の責任みたいなものを負わされた。25、6歳ですよ。だから非常にいろんな点で未熟だったと思います。ただとにかく裏切りものがでた時期でしたから、ああいうことは断じてやらない、そして権力にたいする態度では原則を守り抜こうと、心に決めたんです。それをただ貫いたというだけで、そう非凡なことではなく、きわめてふつうの人間で、人と変わりないと思いますね」(同前)。
「(当時の中国共産党との断絶関係について)これもわたしは、究極的に言えば一時的なことだと思うんです。ながい歴史の一コマで、やっぱり歪んだ状況だということですわ。で、日本共産党も日中問題でうまく立ちまわったらどうかといことを、親切に言う人があるんですがね、わたしどもも、中国共産党とのいまの関係を喜んではおりません。
ですけれども、本質的にこういう状況は日本共産党がつくり出したものではないという確信がありますからね。ちっともバタバタするような筋合いのものではないし、わたし自身の心境もちっともバタバタしていない。…
まあ、こういう状況は、永久に続くものではないと思いますがね」(1972年「『十二年の手紙』のころ」武田泰淳さんとの対談より)
投稿者 teruhoriuchi : 2007年09月09日 23:10
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